担板漢

板をかつぐと、片側しか見えないように

物事の一面だけを見て全体を見ていないこと。


人間、誰もが自分の立場でものを見て、ものを言う、

というしょうもない現実を覚えておいたほうが良いようです。

だからこそ、お釈迦様は「正見(しょうけん)」と言って

自分の色眼鏡を捨てて、正しく見ろ!と

2500年前から説いておられるわけで。


凡僧の私も、このブログも

独断と偏見のかたまりで

担板漢の見本かもしれません。

それでも、あえて書かせて頂きます。


近所で布教活動なさっている

お坊さんの寺報が郵便受けに入っていました。

冒頭の書き出しに、

「一人の命より国家全体が尊い」

とありました。

先ず、過激派で殺害された

日本人の方のご冥福を祈る文章に続いて、

日本国家に損失を与えた行為は

蛮勇の謗りを免れず、毅然と対処した

政府の対応は当然です、

とありました。


多くの国民が、同様の意見を

持っているのでは、と感じます。

今回の事は、賛否両論あって当然です。


けれど、「一人の命より・・」には

違和感を抱きました。

日蓮大聖人様が説いた立正安国の

履き違えでは、とさえ感じます。

担板漢だと思います。


なぜなら、

あれだけの事件が、もう終わったごとく

ぱったり報道されなくなったという事。

まだ、事件の総括も、テロの状況も

終わってないのに。

この現実に疑問と違和感と猜疑を感じる方も

多数いらっしゃると思います。

日本人が殺される一方、

イスラムの罪なき人々が

多数殺されている現実もあります。


そんな中、下記の興味深いブログを

知りました。

ぜひ、一度ご覧なることを

お勧めします。

「世に倦む日日」というタイトルです。

http://critic20.exblog.jp/

PC版では、記事の続きが有料となっていますが

携帯では、無料で全部の記事を読むことができます。


記事を読んで思ったこと。

これからの日本国の行方について

無知・無関心すぎる輩が多いということ、私自身も。

戦後70年を迎える本年、

今回の過激派事件を呼び水のごとくにして

憲法改正や国連決議を外した海外派遣の恒久化法案など

重大な事案が進められているというのに、

国民は無関心・無理解という現実。


秘密保護法にしても、

言いたいことが言える、書きたいことが書ける

という民主主義の前提が根底から覆される

重大なことなのに、みんな何も言わない。

国民の様々な議論を必要とする事なのでは

ないでしょうか?


『暮らしの手帖』初代編集長である

故・花森安治は戦時中、

大政翼賛会で国策宣伝を

担った過去があるのです。

だからこそ、彼の言葉は重いのです。


「人類の歴史はじまって以来

世界中どこの国もやったことのないこと

やれなかったことを今、日本はやってのけている。


日本国憲法第9条。日本国民は・・

武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を

解決する手段としては、永久にこれを放棄する。


なんという、すがすがしさだろう。

僕は、自分の国が、こんな素晴らしい憲法をもっていることを

誇りにしている。


あんなものは、押し付けられたものだ、

画に描いた餅だ、単なる理想だ、という人がいる。

だれが草案を作ったって、良ければ

それでいいではないか。

理想なら、全力をあげて、これを形にしようではないか。

全世界に向かって、武器を捨てよう、ということが

できるのは、日本だけである。

日本には、それを言わなければならぬ義務がある。


過激派ISは、遠い国の他人事でないのです。

我々自身も、周りにもISは沢山いるのです。

それは、

「自分や組織と違うもの・人・思想を、

 精神的・肉体的・物理的・社会的に

 排除しようとする」しょうもない本能です。

ゴキブリ一匹、見つけたって殺戮しようと

思うのが我々なのです。

そこんとこ、忘れないほうがいい。

我々は、聖人君子ではない。


だからこそ、理想を全力で形にしなければ

ならないのです。

そうでなかったら、これまで無念の想いで

亡くなった萬霊に申し訳が立たないです。

それことが、本当の報恩・報国でしょう。


守る、という大義名分の元

大殺戮を繰り返してきたのが歴史でしょう。

だからこそ、お釈迦様は

「手放せ!」「手に握る根源は、お前のくだらない欲望なのだから!」

と2500年前から訴えておられるのです。


こんな事いうと、すぐ「お前は右か左か?」

とレッテルを貼られますが、左でも右でもなく

お釈迦様の教えに基づいて思考・行動したいだけです。


原発建屋から汚染水が海に漏れていたと

報道がありましたが、以前からダダ漏れなのは

中学生でも分かっていることでしょう。

そう、このところ原発関係の報道も

ぱったりでした。


私達の美しい日本を、どうしたいのか

もっと関心を寄せる必要が迫られています。