その道のきっかけは故郷にあった

ノーベル医学生理学賞の大村博士の言葉です。

山梨県人初の偉業に、県外者である私も

心沸き立っています。


「何かひとつでも人の為になれることを」

大村博士の生い立ちや育った風土から

搾り出される言葉の一つ一つが

胸に響きます。


四方を山に囲まれ、寒暖の差が激しい

気候風土に生きる山梨県人は

底力というか、生き抜くエネルギーが

きわめて強いように見受けられます。

偉人・賢人が多いのも

風土の影響が大きいのではないでしょうか?


上記、左の写真は聖牛(ひじりうし)と呼ばれる

水防道具です。

県内を流れる暴れ川・釜無川の治水に苦心した

武田信玄が考案したと伝えられ、

今でも全国の治水技術に使われています。


遠くはアフガニスタンでも

聖牛が使われているそうです。

ペシャワール会の中村哲医師が

河川で聖牛の指揮をしている映像を見ました。

甲斐の国で生まれた技術が、現代の海外でも

通用していることに驚嘆しました。


大村博士の研究も、

アフリカに光をもたらす特効薬となり

年間4万例の失明を防いだといいます。

失明の危険性がなくなった子供たちが

元気にはしゃぐ姿の輝きは、

今でも脳裏に焼き付き、

振り返るたびに万感の思いがこみ上げるそうです。


「自分なら何ができるのか」

考え続け研究に明け暮れた

博士の生き様に、多くの方が

勇気と元気をいただいたのではないでしょうか。