沖縄県・辺野古にてご祈念

今回はかなり長文です。


12月8日は成道会(じょうどうえ)、

お釈迦様が悟りを開いたとされる聖日です。

それに倣って、8日間修行に専念することを

蠟八修行といいます。


お寺に籠ってお題目様を唱え続けるのが恒例なのですが、

今年は辺野古新基地建設場前で5日間勤めさせて頂きました。


辺野古に移り住み、毎日休むことなく

ご祈念を続けておられる日本山妙法寺の

若き御上人様の元へ参じて、有志数名と共に

ご修行させていただきました。


沖縄の現状は報道等でご存知の通り、

国土面積のたった0,6%の沖縄県に

全アメリカ軍の74%が駐留し、

戦後強制的に土地を奪われ基地が建設され、

米軍による事件・強姦・騒音被害等の問題が山積しています。


経済的に基地の恩恵を受けているではないか、

という意見もありますが、補償金を巡って

県民同士の分断もあり、県民所得はいまだ全国最下位です。


また在日米軍関係経費は、政府発表で

6739億円(2014年度)、

在日米軍の兵士・家族1人当たり1240万円に達します。

基地の地代、日本人従業員の給与、米兵住宅の建設費、

光熱費などの「思いやり予算」と米軍再編経費で、

さらに基地の移転や海外基地の建設費までも

負担しています。


戦後70年、

これ以上の基地の沖縄への押し付けは限界であり、

これを強行するなら日米関係に重大な影響が出るだろうと、

沖縄全41市町村の首長と県民140万人の民意を代表して

知事が先頭に立ち、辺野古新基地撤回を主張しています。


保守政治家であり、安保条約も米軍駐留も

認める翁長県知事が国を訴えた意味は、

主権在民の根幹を問うだけでなく、

生命の尊厳を問う強い意志の表れだと感じています。


辺野古に移住し、真っ黒に日焼けした御上人様は言います。


「人が目の前で苦しむのを見るのは、

心を動かされるけれど、遠くどこかの

見えないところで苦しんでいる人間の苦しみを、

時々ニュースで知るのでは、

なかなか心が動かされないのが人間の本性です。


確かに沖縄の問題は、本土の人間にとって

ただ一つのニュースにしか過ぎないのかもしれません。


しかし、沖縄で軍事基地が何なのかを肌で知っている人、

また沖縄の海が自然が、自分の人生の中で

大切なものである人にとっては、

ただのニュースでは済まされないのです。」


そういう状況の中で昨年7月より毎日、

今年1月からは24時間体制で、

辺野古のキャンプ・シュワブ米海兵隊基地前において、

連日数十名が座り込み、毎週水曜日には

早朝6時前から数百人の人々が集まり

抗議の声を上げています。


埋め立て予定の海には、

若者や中高年の有志たちが監視船やカヌーを出して、

海上にて建設阻止の抗議活動も続けています。

参加者は県民と本土からが半々と聞きました。


理想論で語れない平和維持について、

座り込む事の実際的な効果、

そういった現場へ出向き

お題目様を唱える意味について、

私は当初、今回の参加を躊躇していました。


皆様からの尊い浄財から交通費を捻出して

わざわざ出向かなくとも、

今いる場所で沖縄のため、平和のために祈る事だって

いいじゃないか、という想いもありました。


でも、思い切って行きました。

行ったというより、仏様が背中を押し出して

下さったのかもしれません。

実際の現場はニュースや聞きかじりでは

真に理解できない事柄が多く、

行って見て良かったと思っています。


宗教者が政治に関わるなとか、

日米同盟のお陰で平和に暮らしているんじゃないか、

という意見もあります。


実際、辺野古でも米軍相手に商売している方や

生活の為の基地賛成派もいます。

又、内心では反対だけど、

様々な関係で声に出せない人もいます。


沖縄在住の僧侶や牧師さん達も、

檀家や信者が基地関係で働いているから

表向き反対と声に出せない。

だから座り込みや祈りの現場にも、

しがらみのない日本山や一部の意識ある宗教者以外は

姿を見せません。

それは仕方が無いことであり、

批判されるべきことでもないと思います。


毎朝一時間ほどの間、

ゲート前に座り込む方々を

機動隊が幾重に取り囲んで排除します。

怒号や悲鳴が飛び交い、騒然とした光景です。


数日前には、3名の方が拘束されました。

頭突きされて、頬を切り数針縫う怪我を負った若者や、

もみ合いで心臓に不調をきたした

80代の男性が救急車で運ばれる場面もありました。


こう書くと一方的に我を張り、

座り込みの人たちが常にしかめ面で

緊張状態にあるように思われるかもしれませんが、

あくまで非暴力で、怪我人や不法な事は行っていません。

現場には笑い声もあるし、

抗議の怒声ではなく、メッセージを込めた歌を歌う方もいます。

そうでなければ、長丁場は勤まりません。


政治的な意図をもった方も

一部には参加されるのでしょうが

多くの方々は思想信条に一切関係ない

普通の暮らしをしている善良な人々です。


私たちは実際的な抗議行動ではなく

ひたすら太鼓を叩き、お題目様を唱え

祈りの行動をし続けましたが、

一度だけ私も座り込みました。


その際に数名で腕を組んで体を寄せ合い、

機動隊に解除される際、双方に怪我がないよう

防衛に気を配ります。

その時、隣りで腕を組んだ初老の男性の

身体が小刻みに震えていました。

誰だって、怖いのです。

こんな事をせず穏便に解決したいし、

声枯れするほど抗議もしたくない。

排除する機動隊だって、本当は

こんな事をしたくないはずなのです。


だから、速やかに基地建設が中止となり

座り込みの人も機動隊もお互いに笑って

平和の歌を合唱できる日が、

本当の願いだと、ある方は言っていました。


坊さんが左翼みたいなことするな!

と批判する方がいますが、

宗教者は右でも左でもなく

中道だというとご都合主義にとられますが、

やはり、お釈迦様や日蓮聖人様なら、

今、どう行動するだろうかと考えるのです。

歴史上を振り返れば

宗教者は常に社会の問題・社会の弱者に

まなざしと行動を捧げてきました。


日蓮聖人様も国家権力に不当逮捕され、

騒動の中で額を切られ、弟子を殺され、

首の座の処刑台にまで座られたことを思う時、

お題目様を唱える愚弟子の一分として、

一人黙然と座しているばかりでもないと思うのです。

勿論、それに優劣をつけるものではないし、

強制するものでもありません。


日蓮聖人様のように理路整然と

モノ申す能力はありませんが、

困難な状況にいる方々の前に駆けつけて、

仏天の御加護を受けてお題目様を唱え続けようと思い、

声を張り上げて参りました。


護るべき寺や檀家さんがなく、

しがらみが少ない我が身に出来る

ささやかな行動であり、

普段から応援して下さる数少ない方々への

御恩に微力ながら応えるための御修行だ

とも思っています。


今回、座り込みの方々の傍らで

一日中、太鼓を叩きお題目様を唱える声に

座り込みの方々が勇気を得て、

信頼と共感をもっておられる印象を受けました。

眼前を通り抜ける車から手を振ってくれたり

飲み物の差し入れを下さる方々もいました。


これもひとえに長年、

現地で祈りを続けてこられた日本山の御上人様達の

徹底した無私の行動によるものです。

途中、真言宗のご住職も来られ、

錫杖をお題目に合わせて鳴らしながら、

一緒にお祈り下さいました。


地元在住でユタのお婆さんが

日本山をよく外護されており、

今回も一緒に太鼓を叩いて祈っておられました。

誇り高き沖縄人という容貌のお婆さんは

多くの方に慕われておりました。

現実の国難に立ち向かう時、

宗派や教義に拘るのは、全く無意味と沖縄で感じました。


ゲート前で毎朝繰り広げられる騒動を見ながら、

私は泣けて泣けて仕方ありませんでした。

同じ日本人として、こんなに理不尽で不毛な諍いはなく、

悲しく、そして悔しく、なんとも言えない感情が

次々とこみあげてきて、

精神的に疲労する現場でした。

一緒に祈念していた日本山の尼僧さんも泣いておられました。


これを毎日休むことなく続けておられる

座り込みの方々と、辺野古に移り住んでご祈念を続ける

若き御上人様には本当に頭が下がりました。


東京の国会前で抗議する方々よりも

辺野古で抗議する方々の熱意と真剣度、

そしてマイクを持って語る

言葉の一つ一つが深く胸に響いたのは、

沖縄で現実と向き合い暮らす人々の声だから、と実感しました。


数日間の滞在でしたが、

ここは本当に日本なのだろうかと

感じる光景を至る所で目にしました。


ポツダム宣言にこうあります。

「平和的で責任ある政府が樹立されたとき、

 連合国の占領軍は、直ちに日本国から

 撤退しなければならない」


本当は辺野古移転でもなく、本土移転でもないのです。

今、必要なのは沖縄に対する「同情」ではなく、

私たち一人一人の自分の問題として、

日本国にとって基地をどう考えるか、

という根本問題を考えることが必要です。


たった数日間でも

受けたインパクトは大きく、

私自身の内心でも、もう少し整理しなければ

と感じているのですが、現状を本土の方々に

知っていただく為、雑駁ながら

お伝えしました。

ここまで読んで下さり、感謝申し上げます。