寄り添う想い

 

かつて身延山には

ハンセン氏病(らい病)を患った方々の

病院施設がありました。

御廟所へ向かう身延川沿いには

その方々の墓石や

納骨堂がひっそりと佇んでいます。

 

道場に来られたご信者さんが

ご供養をしたいと沢山のお供え物を

持参されました。

施設跡では供養を行う事が出来ないため、

道場にて皆さんと一緒に法要を勤め

祈りを捧げました。

 

法要中、お経本に突っ伏し

涙を流されていたお姿は、

患者さん方の気持ちを

代弁されているようでした。

 

「私の気持ちを分かってくれた」

 

それだけで救われるのは、

生きている人も

亡くなった人も同じだと思います。

 

身延川沿いにみんなでお線香を立て

空を見上げると、想いに応えてくださったような

雲ひとつない青さが広がっていました。

  

『しがまっこ溶けた』 金正美著

 機会があれば、お読みください。

 その中から数編の詩を紹介させていただきます。

 

らい病の詩人、故・桜井哲夫氏の詩です。

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 天の職     桜井哲夫

 

 お握りとのし烏賊と林檎を包んだ唐草模様の紺風呂敷を

 しっかりと首に結んでくれた

 親父は拳で涙を拭い低い声で話してくれた

 らいは親が望んだ病でもなく

 お前が頼んだ病気でもない

 らいは天が与えたお前の職だ

 長い長い天の職を俺は素直に務めてきた

 呪いながら厭いながらの長い職

 今朝も雪の坂道を務めのために登りつづける

 終わりの日の喜びのために

           (第一詩集『津軽の子守唄』より) 

 

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 拭く      桜井哲夫

 

 1941年 昭和16年10月6日

 旅立ちの朝

 住み慣れた曲屋の門口まで送りに出た父が突然

 「利造、勘弁してくれ。家のために辛抱してけろ」

 と言って固く俺の手を握った

 見上げた父の顔にひとすじふたすじの涙が走った

 後ろを振り向くと おふくろはうつむいて

 涙で曇ったのか しきりと眼鏡を拭いていた

 青森発大阪行きの列車が弘前駅の一番ホームに入った

 ホームは出征兵士や従軍看護婦の見送りで混雑していた

 国立療養所「栗生楽泉園」まで送って行くという母を説き伏せ

 急いで列車に飛び乗った

 列車は駅を離れた

 おふくろの姿はたちまちホームの人ごみの中に消えた

 列車の窓を二度三度と拭いた

 見えるはずの岩木山や赤く色づいたりんごは見えなかった

 

 2001年 平成13年6月12日

 東京地方裁判所の原告席に支援者に見守られて座った

 三人の原告陳述が終わり判決があった

 それは5月11日の熊本裁判の判決に沿う和解であった

 裁判所を後に夜遅く帰園した

 

 故郷を離れて60年

 今は亡き両親の涙を 俺は指のない手で静かに拭いている

 列車の窓から見えなかった岩木山もりんご園の赤いりんごも

 今夜は盲目の俺の目によく見えたよ と

 もう一度両親の涙を拭いた

              (第五詩集『かささぎの家』より)

 

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 花便り       桜井哲夫

 

 看護婦さんが封筒をあけた

 手紙の間から紫の花びらが散った

 手紙の文字は盲目の私には読めないけれど

 紫の花びらを舌に乗せると

 手紙を贈ってくれた人の優しさが読める

 花の手紙は舌先でおどる

 花の文字は何時までも忘れられない

             (第四詩集『タイの蝶々』より)